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「苦しみ」は後に「優しさ」という宝になる [メイン]

どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

NO.1の「神を描く人」を目指して頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。
では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

全ての苦しみには、それなりの意味がある。
全ての苦しみが、罰的な要素という訳でもない。
例えば、障害者は「前世までの罰として苦難が与えられている」というよりも「普通の課題はクリアしてやることがなくなった魂がさらに高度な課題を与えられている」というケースが多い。
この世では、努力して能力を磨いていくと、どんどんと責任が重い仕事を任されるようになって、悩みが増えていき、得してるんだか損してるんだか、よく分からない状態で過ごしている人が多いと思うけど、これは、より高度な課題を与えられるようになったのだから、その分、クリアした時には神からの祝福が大きいはずだ。
社会が複雑化してきたのは、何度も生まれ変わって「人間」という体に慣れてきて、上手に使いこなせるレベルが高い魂が多くなってきたからで、それだけ高度なことを要求され始めたからなのだ。
ただ単に障害や病気によって苦しめられただけで死んだとしても、その経験は決して無駄にはならず、知らず知らずのうちに、苦しみを味わった分だけ弱者の気持ちを理解できる優しい魂へと成長していっているものなのだ。
なぐられることで痛みを知った人間は、それ以降、なぐり合いのケンカをする時に相手の気持ちを考慮して手加減してなぐるようになる。
やられる側の立場にいる人間は、その苦しみを忘れてはいけない。
そして、その経験を優しさへと変換するのが正しき選択なのだ。
もちろん、親や教師など、第三者的に叱ってあげられる立場にいるのならば、間違いを指摘して叱ってあげるのが望ましい。
自分自身が叱られても直らない人間だったならば、一度、苦い経験をしておく必要がある。
老人に対する優しさが足りないならば、自分が老人となるまで生きて、老人の立場を十分に経験してみればいい。
社会的に役に立っていないように見える弱者や落ちこぼれが、実は、人に本当の優しさを教えるための重要な存在になっていたりするのだ。
存在価値がない人間は、存在しない。
弱者として存在しているだけでも誰かに何かを気付かせる役割を果たしているし、障害者や病人の立場から見ると、健常者の時には見えなかった人間の本性がはっきりと見えるようにもなる。
損得なしでさりげなく優しい人が、本当に優しい人。
本当の優しさを選別できるようにもなる。
無駄な経験というのは、一切ない。
生きているだけでも、かなり沢山のことを学べているのだ。
治らないのが障害で、治るのが病気。
病気の方は、治るのだから、治すことに集中すればいい。
規則正しい生活とバランスの良い食事と適度な運動はもちろん大切だけど、それよりも、もっと重要となってくるのが「心の持ちよう」だ。
本来、人間の体は、薬なんか使用しなくても治癒できるように作られている。
よく「憧れの有名人と対面して再会する約束をして、あまりの嬉しさに難病を吹き飛ばして完治させてしまった」という話を聞くけど、自分の体のことなんか忘れるぐらいにワクワクする出来事が起こった時に、よく奇跡は起きるのだ。
自分の魂が輝いて体の自然治癒能力が存分に発揮された時に、驚異的な回復力が生まれる。
体が病んだからといって、心まで病ませる必要はない。
でっかい夢と希望を持って前向きに生きていけばいいのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

注意!⇒コメントは非公開で、全部読ませていただきますが、「神宿る文章」の執筆の方に全力を注ぎたいので、基本、返事はいたしません。
ご理解よろしくお願いいたします。

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