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聖典は「神が著した書物」 [メイン(3周目)]

どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

NO.1の「神を描く人」を目指して頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。
では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

釈迦が「悟った」と言っていたのは「この世はこういう風な設定になっていることが分かった」という所までで、さらに上の境地になると「神がそのような設定を作った」という所まで辿り着く。
ブッダは、悟って「神の教え」を忠実に人々に伝えた偉い御方。
預言者は、さらに、神の言葉を預かって「神の存在」までも人々に伝える。
ブッダは、人間側からの積極的アプローチで真実へと辿り着き、預言者は、神側からの積極的アプローチで真実へと辿り着く。
ブッダと預言者では、少し説き方が異なるけど、言っている「真実」は同じ。
真実は1つだから、皆、同じ真実へと辿り着くのだ。
神は、宇宙が誕生してから今まで、ずっと、生き続けている御方だから、皆、同じ結論へと終着する。
はるか昔、釈迦やイエス・キリストが生きていた時代にいた神と、今いる神は、同じ神。
ずっと、宇宙の頂点に君臨し続けていて、「永遠の命」を当たり前のように所持していて、これからも、ずっと、生き続ける御方なのだ。
私の文章はマスターキー。
じっくり読んで「神の視点」を身に付けた読者は、全ての預言書を、より分かりやすく通読できるようになったはずだ。
マスターキーを差し込む感じで、フーと神宿る息を吹き込むと、聖典は輝き始め、神が語り始める。
聖典は、人間が作った書物ではない。
神の言葉を預かった預言者たちによって作られた「神が著した書物」なのだ。
人間を、はるか上から、教育している存在がいる。
教育者である神の存在なしでは、人間世界の仕組みを、上手く説明できない。
釈迦が、苦行に苦行を重ねて「いくら苦行しても苦行だけじゃ真理を得られない」と悟ったように、人間が、自分が着ているTシャツを両手で掴んで引き裂いたとしても「服の丈夫さ」が分かるだけで、何度も何度も服を破いても、それ以上の事実は得られない。
「洗濯して天日干しにしたら着心地が良くなる」とかは、そういう素材がTシャツに使われているからそうなるだけの話で、いくら苦行をしても「人間の体に使われている素材の性質」が分かるだけなのだ。
服(体)は服(体)。
それ以上でも、それ以下でもない。
断食したり滝行したりして、どうなるかを調べても、服の構造が分かるだけで、「教育者の視点」を加えないと、それ以上の真実へは辿り着けない。
やりすぎたら壊れて、やらなすぎても壊れる、という、人体の構造は、「体を管理することの大切さ」を学ばせるために、神が、そのような設定にしたのであって、「教育」を重視しているからこそ、そのような体になっているのだ。
人間の体は、「やりすぎずやらなすぎず」の「中道」が、快適となるように調整してある。
日光に当たりすぎると、肌が痛んでシミになってしまう。
当たらなすぎると、日光を浴びることによって体内で生成されるビタミンDが不足して不健康になったり、脳内のセロトニンが活動不足になって気分的に落ち込んだうつ状態になったりしてしまう。
なんでそんな苦しみだらけの仕組みになっているのかというと「刑務所の囚人に何をやらせるのか」を考えてみると真実が見えてきて、「更生プログラム的な側面が強いからなんだ」ということが分かってくる。
本来、やる必要がない、現実世界である神世界には存在していない「体の健康を保つためにやらなければいけない苦行」を、刑務所を管理している側の者によって、あえて課せられている状態なのだ。
神世界においての日常では、自分の体を使いすぎても壊れないし、使わなすぎても壊れないし、日光に当たりすぎてもシミにならないし、当たらなすぎても病気にならない。
釈迦が辿り着いた真理である「中道」は、「人間を教育するために」「人間を怠けさせないために」神が定めた決まり事なのです。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

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