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各種動物の生活様式は神が決めている [メイン【6周目】]

神は、各種動物の各種設定を行っている立場であり、「人間はこういう存在だ」「犬はこういう存在だ」「タコはこういう存在だ」と神が定めた通りに、地球上の動物たちは、神から与えられた体で、神から与えられたライフスタイルで、神が用意した地球で暮らし始める。
犬は人間になれなくて、人間は犬になれなくて、タコが陸上で生活できるようになれないのは、「なれない」のではなくて「ならせてもらえていない」だけの話で、神がちょっと設定変更を行えば、いつでも、犬は人間になれるし、人間は犬になれるし、タコは陸上で生活できるようになる。
神が許可すれば、今、すぐにでも、実現可能なことだけど、今は、まだ、神が許可していないから、なれていない。
ただ、それだけの話なのです。
異なる種類の動物の間に「壁」を設けたのは神であり、ちゃんと理由があって分けられている。
犬は、人間みたいに多彩な色を識別できないから、人間が描いた絵画の素晴らしさを完全には理解できないし、人間よりも動体視力が優れているから、人間が昔に使用していたブラウン管のテレビ映像を見ても1枚1枚絵が表示されていくコマ送りみたいな感じになってしまっていて、人間と同じ感覚で映画を楽しめない。
人間にとってはネギやタマネギやニンニクなどのネギ類は無毒で美味しく食べられる食材なのだけど、犬にとっては有毒で邪魔な存在となっている。
これらから分かるように、犬の体では、人間が使っている技術、楽しんでいる世界を完全には理解できないように設定してあるのです。
おぼろげには見えているだろうけど、犬の頭では人間世界を完全には把握できない。
同じく、人間にも神が創った芸術作品がちょっとだけ見えているのだけど、人間の頭では神世界を完全には把握できないのです。
神となりて、はじめて、完全に理解できるようになる。
なぜ自分よりも上の世界の存在をはっきりとは見えなくしてあるのかというと「自分達よりも恵まれた世界を知ってしまうと、その世界よりも劣っている自分達の世界で一生懸命に生きられなくなってしまう」という理由からです。
犬は、犬なりに一生懸命に生きている。
だけど、どんなに努力しても、犬よりも人間の方が、はるかに多くの遊びを楽しめる。
人間は、人間なりに一生懸命に生きている。
だけど、どんなに努力しても、人間よりも神の方が、はるかに多くの遊びを楽しめるのです。
上の世界を知ってしまったら、自分達が住んでいる世界を物足りなく感じてしまう。
だから、隠されている。
もし、「自然環境に適応するために体が進化してきた」のであれば「人間が美味しく食べられるものを犬が食べられない」という道理はないし、ちょっと体の仕組みを変更すればいいだけの話なのに、いつまでたっても苦手なことを克服することなく「食べられる体に進化しない」のはどう考えてもおかしくて、食べられないことによる利点なんて、どこにもないはずです。
そう、これは、ただ、神が「これは人間の食べ物で、これは犬の食べ物」と決めただけの話で、チョウチョなんかは、幼虫の時にはムシャムシャと葉っぱを食べていたのに、成虫となると上品に花のミツを吸い始めて、明らかに、この事実が、「自分が食べれる食べ物は自分で自由に選択できる」ということを示唆しているし、それが出来ないのは「今は、まだ、その自由を神から与えられていない」というだけの話なのです。
そして、よ~く、じっくり考えてみると、チョウチョが、おかしな選択をしていることに気付けるはずです。
サナギの時に、それまでの自分の体を溶かして原形がない状態にして、それまでの自分とは全く異なる新しい体へと生まれ変われているのに、そこまで体を自由自在に変更することが出来ているのに、わざわざ、花のミツを吸うことしか出来ないようなストローみたいな変な口の形にして、かなり限定された食べ物しか食べられない体へと変形してしまっている。
「自由」に自分が選んで体を変更したのなら、花のミツや樹液や腐った果実などの「液体状のものしか食べられない」なんていう「不自由」な体を選択する訳がないのです。
美味しそうに葉っぱをムシャムシャ食べていたのだから、花のミツを吸って飲んでみたくなったのならば、「葉っぱと花のミツの両方を食べたい」と思い立って、両方を食べられる体へと変更するのが当たり前の自然な流れなのであって、「花のミツだけ」という選択肢は絶対に有り得ないはずなのです。
どう考えても、チョウチョよりもはるかに上の存在から、着せ替え人形のように服(体)を着せ替えられて、主食を「植物の葉っぱ」から「花のミツ」へと強制的に変更させられている、としか考えられないし、それが、現実なのです。
「味覚」ですらも、神がデザインした服の1部分なのであって、服が変われば味覚も変わる。
「どれを美味しく感じさせるのか」という設定ですらも、神が決定していることで、「チョウチョには花のミツを美味しく感じさせる」と神が決めたから、チョウチョは花のミツを美味しそうに食べているのです。
神が創作した生き物たちは、神が決めたことに逆らえない。
もし、花のミツを食べ飽きて、自分が若き頃に大好きだったはずの葉っぱをまた食べたくなったのならば、もう1度サナギになって、幼虫の姿に戻ればいいだけの話で、そして、また、花のミツが食べたくなったのならば、また、サナギになって、成虫の姿に戻ればいいだけの話なのです。
しかし、その自由を神が許可していないから、出来ない。
「1度、成虫の体に変更したら、もう、幼虫の体に戻れない」という制限が神の手によって加えられていて、「何度でもサナギになって何度でも体を変更できる」という、出来て当たり前のことが、出来ていない。
「1度出来た」のだから「何度でも出来る」はずなのに、出来ない。
自分の意思で体を変更したのなら、「よ~し、今度は、もっと違う体に変身してみよう」と好奇心まる出しで、何度も何度も変身して遊び始めるのが普通の流れであるはずなのに、その自由を奪われたかのように、みんながみんな、同じ形状の体へと変身していく。
サナギとなった時点で「自由に体を選べる」はずなのに、チョウチョはチョウチョになり、セミはセミになり、カブトムシはカブトムシになり、あらかじめ、そうなることを決められていて、全然、自由じゃないのです。
「変身前」と「変身後」の体を、自分以外の何者かによって決められていて、自分が食べる食べ物ですらも、自分で自由に選べていない。
もし、「生き残るために自力で体を進化させた」と仮定するのであれば「全ての食べ物を美味しく食べられる」というのが最も環境に適応した形なのであって、これが、100点満点の進化形であるはずなのです。
しかし、どの地上生物も、そうなっていない。
人間ですらも、食べられないものが存在する。
「まずい」だとか「体に毒」だとかで、服(体)の考案者である神によって「食べないように」誘導されている。
そう、人間も、制限を加えられている側の存在にすぎないのです。
真の自由は、神となりて、はじめて手に入れることが出来る。
あなたが、制限を加えられていない存在である神となれば、地球上にある全ての食材を美味しく食べられるようになって、それどころか、神世界に存在する見たことのないような極上の料理を、毎日食べ放題で過ごすことが出来るようになるのです。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)
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