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恐竜は神の脳内に今も存在している [メイン【6周目】]

「神が恐竜の体をデザインした」という事実を知らないから、人間達は、化石発掘で恐竜の化石を発見して大騒ぎしたり、目を輝かせて「恐竜ってどんな存在だったのかな」という話題で盛り上がったりしている。

「こういう姿だったんじゃないかな」「こんな鳴き声だったんじゃないかな」と想像を膨らませて、「ジュラシックパーク」みたいな恐竜映画を作っちゃったりして、観客たちも「恐竜ってこんなに大きかったんだ」「凄いね~」なんて言って感動しているのです。

実は、恐竜というのは、人間にとっては「未知」の存在だけど、神にとっては「熟知」の存在で、神目線から見ると、人間は、かなり面白い言動をしている存在となっている。

「神が頭で思い描いて恐竜の体を現実化した」のだから、もちろん、恐竜に関する全てを神は知っていて、神にお願いしてOKさえもらえれば、本物の恐竜を、いとも簡単に見ることが出来る「最短ルート」というのが存在していて、それは、教育上の理由で隠された「極秘ルート」という感じで、ひっそりと存在しているのです。

恐竜の姿は「映像」として、恐竜の鳴き声は「音声」として、ちゃんと、「永久に朽ちないデータベース」である「神の脳」にリアルに保管されている。

神は、「恐竜」という芸術作品の作者なのだから、気に入った自分の作品のデータは、ずっと大切に保存しているのです。

もちろん、恐竜が生きていた時代の様相も、ちゃんと、残されている。

恐竜の息使いまで感じられるようなリアルな感覚が、ちゃんと、記憶として残されていて、恐竜が生きていた世界の映像も鮮明に残っているのだけど、あなたは、まだ、見せてもらえていないだけなのです。

人間は、ボケーと過ごしている。

目の前で、チョウチョの幼虫が変身して空を飛んでいっても大事に思えず、軽い感じで「凄いね~」なんて言って感心している。

「ちょっと変わった」という程度のレベルではなく「全く違う」体になって、さらには、幼虫の頃には「モゾモゾと葉っぱの上で歩き回っていた」だけなのに、成虫になったら「羽を生やして空で優雅に飛んでいる」のに、そんな天地驚愕な奇跡が目の前で起こっているのに、それでも、大事に思えないのです。

この変化と比べたら、人間がやっている「整形手術」なんて陳腐で雑すぎる未完成な技術で、遺伝子を自由自在に操れている神技術の足元にも及んでいない。

常に、神が上で、人間が下であり、「神技術が凄すぎる」から、幼虫からサナギを経て成虫になる体の変化が「神世界に住まう神々の技の1つ」であることに、人間は気付けないのです。

神と人間の実力差がありすぎるから、人間は、明らかな「矛盾点」に気付けない。

「蚊は口から唾液を出して“血が凝固しない成分”と“痛みを感じさせない麻酔みたいな成分”を同時に人間の肌に注入しているから人間は針で刺されていても気付けないんだ」という知識を得ても「へぇ~、蚊って賢いんだね」って、軽い感じで言っている。

「血液の仕組み」と「神経の仕組み」を完璧に理解している者じゃないと出来ないビックリ仰天なテクニックが目の前で軽々と披露されているのに、それなのに、軽い感じで言っているのです。

神が、目の前で奇跡をいっぱい起こしてくれているのに、どういう訳だか、人間は、全然、気付こうとすらせずにボケーとしている。

ちょっと考えれば分かる話なのに、何故か、「神に関すること」となると頭がショートした感じになって思考力が散漫になってしまっていて、おそらく、これは、神による「封印」という力が働いていて、普通に過ごしているだけでは絶対に「神の存在」へと辿り着けないように「人間の脳」は仕組まれている、ということなのでしょう。

チョウチョも人間も「同じ遺伝子システム」によって作られた存在なのだから、もう、そろそろ、矛盾点に気付かなければいけない。

「人間に出来ていること」の全てをあなたにも出来るのはもちろんのこと、「チョウチョに出来ていること」の全てですらあなたにも出来る、というのが、当然あるべき姿なのです。

そして、もちろん、この世の「創造主」であり「全知全能」である神は、ソレが当たり前のように出来ていて、この世で実現できていることの全てを「自分の能力」として所有している存在であることは、言うまでもありません。

神が「凄すぎる存在」であるから、人間は「神の存在」に気付けなかっただけの話なのです。

地球上に存在する全ての「体」が、遺伝子システムを駆使して神がデザインした作品であることに気付いていないから、人間は、チョウチョが「変身して空を飛んでいってる」現実を見ながら、テレビでヒーローが変身して空を飛ぶ場面を見て「現実では有り得ない話だよな」と言っている。

蚊の体、チョウチョの体、人間の体、恐竜の体、さらには、空気、重力でさえも「神が創った芸術作品」なのだから、体の大きさに関係なく、「空を飛ぶこと」なんて、神世界では、お茶の子さいさいで実現可能なことなのです。

神は、「重力」の作者であり「体」を自由に選べる立場なのだから、「重力の影響を受けない体」へと変身すれば、羽がなくても余裕で空を飛ぶことが出来ている。

「人間の体は重力の影響を受ける」と神が設定しているから、そうなっているだけで、臨死体験をした人が「幽体離脱みたいに部屋の中をフワフワと漂って天井からベッドで寝ている自分の体を見れている」という事実は、「重力の影響を受けない体」となって、その体からの視点で見ることが可能であることを指し示している。

そして、もちろん、神の場合は、そんなフワフワした曖昧な存在ではなく、鮮明でハッキリとした「自分の体」を維持したまま、自由自在に空を飛べていることは、言うまでもありません。

「この世」と「あの世」のどちらも、神世界の劣化版だから「100点満点の体」が与えられていないだけで、「この世」で出来ることは神世界でも出来るし、「あの世」で出来ることは神世界でも出来るし、「この世」と「あの世」を足し合わせて、さらに、それ以上のことが当たり前に出来ているのが「神世界」なのです。

「走馬灯」や「臨死体験」など、数々の体験談が記録として残されていて、そして、これだけ科学が進歩した今なら、気付けるだけのパズルピースは、もう、十分に、揃っている。

あとは、それを組み立てさえすれば、誰でも、神の存在へと辿り着ける時代になっているのです。

蚊の体も、神が考案した「遺伝子システム」によって作られた体。

蚊の口先に付いてる高性能な注射器は、神が試行錯誤して生み出した1つの作品なのです。

「蚊が賢い」のではなくて「神が賢い」のであって、蚊は「麻酔が効いていて人間は痛みを感じていない」という事実に気付いてすらいない。

もちろん、人間だって、例外ではない。

教科書で自分の体のことを勉強して、やっと自分の体の仕組みが分かるようになったのであって、教科書がない時代の人間は「肝臓がアルコールを分解している」なんて全く気付かずに暮らしていたのです。

人間よりも神の方が、はるかに賢い。

そして、人間は、常に、「神から教えてもらっている」存在なのです。

アルコール(エタノール)の化学式は複雑で、誰かが思い描かなければ、実現させることは出来ない。

偶然に出来上がるほど、簡単な副産物ではないのです。

神が「アルコールが欲しい」と思ったからこそ、今、アルコールが存在している。

神が、「人間がアルコールを飲むと酔ってハイな気分になれるようにしよう」「何か楽しみがないと生きていけないだろうから一時的に辛いことを忘れて楽しめるような飲み物も用意しておいてあげよう」と思ったから、その「思い」が実現して、「ワイン」や「ビール」や「日本酒」などのアルコール飲料が存在しているのです。

「アルコール」と「肝臓」、どちらも神の作品であり、「アルコールを摂取すると人体がどんな反応を示すのか」を決めたのも神であり、神目線から見ると、全てが、出来レースなのです。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)
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「人間の脳」は「神の脳」の劣化版 [メイン【6周目】]

神の脳は、目や耳などから得た情報や感じたことの全てを記憶として残せていて、その上で、さらに、「何度も見たい記憶」を思い出しやすくするために部分的な記憶に「ランク付け」を行って、「全部の記憶」「重要な記憶」「最重要な記憶」という風に整理をして、常に、自分で自分の記憶を簡単に思い出せる状態になっている。

「自分の脳」なのだから「自分が望む形」になっているのが当たり前な話で、もちろん、神の脳は、そうなっているのです。

人間の脳が、簡単に記憶できなかったり、すぐに忘れちゃったり、忘れたくても忘れられない嫌な記憶が残り続けたりして「自分が望まない形」となっているのは、神が教育用に作った「神の脳の劣化版」である脳だからなのであって、もちろん、神の脳は、簡単に記憶できて忘れないし、自分が「いらない」と判断した記憶は簡単に消去できる脳となっている。

当たり前のことが当たり前に出来ているのが、「神の脳」なのです。

神の脳は、宇宙を丸ごと記憶できる程の「膨大な記憶容量」を持っている脳であり、宇宙を丸ごと処理できる程の「驚異的な処理能力」を有している脳であり、だからこそ、全人類の記憶を丸ごと余裕で保存することが出来ている。

「神の脳」の1部分を借りた状態で記憶できている「人間の脳」の場合は、「教育用の脳」であるがために「神の脳」よりもはるかに劣るスペックとなっていて、だからこそ、人間は、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という、おかしな生き物となっているのです。

「人間の脳」の場合、「短期記憶」と「長期記憶」に分けられていて、重要な記憶が「長期記憶」の方に残されていて、一見、使いやすく整理されているように見えるけど、使いやすくはない。

「神の脳」みたいに、「まず全てを記憶して全てを思い出せる」という「第一段階」が抜けてしまっているのです。

「走馬灯」を見ている時、「人間の限界」を越えて、無理矢理こじ開けて、「自分の鮮明な過去」を見ているのだけど、緊急時だけじゃなく平常時でも、この機能を使えたとしても何の不都合もなく、むしろ、有り難い機能であるはずなのです。

暗記テストの時に、「走馬灯」という機能を活用すれば、簡単に100点が取れるようになる。

なのに、「受験の時に走馬灯を見た」という話は、聞いたことがない。

おかしな話だ。

そういう機能が付いているのに、自分の意思では、その機能を発動できない。

出来るはずなのに、「そうなることを強く望んでいる」のに、出来ない。

「一体、誰の願望が実現しているんだ?」って話なのです。

そう、これは、ただ、「人間の脳は神の脳の劣化版とする」という理由で、「人間の脳の作者」である神によって、その機能が閉じられているだけなのです。

もちろん、「神の脳」の場合は、常に、その機能が快適に使えている、ということになる。

使えないことの方が異常で、人間は、かなり不便で使い勝手が悪い脳を使って生きているのです。

人間の脳は100%出来ることを何%かに抑えた「制限装置」なのであって、目的は「脳力に恵まれた者」「脳力に恵まれない者」「サヴァン症候群」など様々な者で彩られた世界にするためであり、それぞれの立場となった時に「どう生きるのか」をテストするためであり、そのために神の手で固定化されているだけの話なのです。

「サヴァン症候群」とは、

自閉症やアスペルガーなどの知的障害や発達障害がある者の中で「特定分野に限って優れた能力を発揮する者」の症状で、

「発明王」と呼ばれているエジソン、

「現代物理学の父」と呼ばれているアインシュタイン、

「日本のゴッホ」と呼ばれている山下清がそうだったと言われていて、

「知的障害」「発達障害」という障害が「世の常識を拒む形」になっているから「新常識を生み出しやすい脳内環境」になっていて、だからこそ、「新たな時代を切り開く役割」を担った偉人に多く見られる「脳の形」だ。

本を一回読んだだけで全て記憶できたり、

絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できたり、

電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来たり、

時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来たりして、

天才サヴァンの人は、常軌を逸した能力を発揮することが出来ている。

画家である山下清の場合は、驚異的な映像記憶能力を持っていて、旅先で見た景色を鮮明に覚えたまま実家に帰って、その目に焼き付いた景色を風景画として見事に描くことが出来ていた。

様々な「脳の形」があるけど、この世に存在する全ての「脳の形」が神の想定内であり、もちろん、神は、「人間の脳の作り手」なのだから、今、ある、「脳の形」で神が知り得ない形はなく、全てが神の手で再現可能な形、ということになる。

神は「全部」の存在であるから

「人間の脳で出来ていることの全てが神の能力の一部分」ということになり、

神は、一度見た景色は忘れないし、

本を一回読んだだけで全て記憶できるし、

絶対音感があって一度聞いただけの曲を完璧に演奏できるし、

電卓を使わないと出来ないような難解な計算を一瞬で出来るし、

時計や物差しを使わずに正確な時間や距離を答えることが出来る存在なのです。

全てにおいて、神が「全部」で、人間は「一部」で、「人間の体」は「神の体」の劣化版であり、神が「人間の体」を作って維持し続けてくれているのだから、「人間の体の仕組み」は神によって完全に掌握されている、ということになる。

「神の脳」が、人間からの「手足を動かしたい」という思考を受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、遺伝子システムを駆使して、人間の手足を動かしている。

神が、人間からの思考を全て受け取って、実現可能なお願いだけを厳選して、代行して叶えてあげているのです。

「人間の脳の仕組み」も、例外ではありません。

あなたが見て聞いて感じた記憶は、まず、「神の脳」へと全て送られて全て記憶されていて、そして、あなたが「自分の記憶」を引き出す時は、「神の脳」に「記憶をくれ」とお願いして、そのお願いを聞き入れた「神の脳」が、「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で「あなたの記憶」を引き出してあなたへと渡している。

若い頃よかった記憶力(記憶引き出し力)がだんだんと衰えていくのは、「老いたら記憶力を衰退させる」という雛形になっているからで、そうなるように、神が、「リミッターの調整」を行っているだけの話なのです。

老いても鮮明に記憶できているのだけど、そのリミッター機能が働いて記憶を容易に引き出せなくなってしまっているだけで、ちゃんと、「神の脳」に、その記憶は鮮明な状態のままで残されている。

走馬灯を見ている時は、そのリミッターが一時的に解除され、一瞬だけど、その記憶を見れている、ということになる。

そして、もちろん、「神の脳」の場合は、リミッターが全て解除されている状態が通常運転であり、常に各種機能のONとOFFを自由に選択できる状態であり、ずっと老いなくて、ずっと記憶力が衰えなくて、未来永劫、ずっと快適な動作環境のままであることは、言うまでもありません。


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第6感である「思考覚」 [メイン【6周目】]

神世界の日常生活において、口を使わずに「思ったこと」を直接相手に伝える会話手段を成立させている神経を「思考覚神経」と名付け、そして、「思考覚」は人間の五感以上の感覚なので「第6感」としておきます。

この神経は、神と神の間では会話的に使用されているのだけど、人間に対しては、「人間から一方的に思考を読み取る」「人間に一方的に思考を送る」という風に、一方通行となっている。

神対神の場合は、「この思考は伝えるけどこの思考は伝えないでおこう」という選別が出来ているのだけど、神対人間の場合は、人間側が思考覚を扱える状態ではないため、常に、神側が主導権を握っており、「神が人間からの思考を全て受け取って実現可能なお願いだけを代行して叶える」という形が、今現在での通常運転となっている。

あなたからの「手足をこう動かしたい」という思考信号を「思考覚神経」を通して「神の脳」が受け取ったら、脳内にある「人間」という雛形を参照して、それに沿う形で、「神の脳」が「手足をこう動かせ」と指令を出して、その指令に従ってあなたの手足は動くこととなる。

その指令は、「遺伝子システム」を活用して「人間の体」の各部位の細胞1個1個を同時に動かす形で実現されていて、もちろん、「遺伝子システム」の考案者である神が完全支配している世界であることは、言うまでもありません。

「人間」という生き物は儚い存在で、神がいなければ体を動かすことすら出来ない存在で、常に、神に思考を読まれている存在でもある。

なんとなく思っている「退屈だな~」だとか「困ったな~」だとか「嬉しいな~」だとかも、神からは丸聞こえで、だからこそ、それらの「思い」の雛形である「退屈顔」や「困り顔」や「笑い顔」などの「顔の表情」が、神によって用意周到にデザイン化されているのです。

人間が思っている以上に、人間は、神に完全依存して生きていて、「記憶管理」ですらも、完全に神のコントロール下に置かれている。

人間は「神の脳の1部分を借りた状態で」記憶することが出来ていて、だからこそ、「自分の記憶を簡単に引き出せない」という「おかしな脳」となっている。

「暗記するのに苦労する」という苦しみは、神世界では、有り得ない苦しみなのです。

「神の脳」に、リミッターは付いていない。

だから、とてつもなく膨大な量の記憶を、余裕で保有できている。

あなたの目は「神が与えたもの」であり、あなたの耳も「神が与えたもの」であり、あなたが見た映像を神も見ていて、あなたが聞いた音声を神も聞いていて、人間達が「アカシックレコード」と名付けた巨大な「神の脳」に、全てが記憶されて残っている。

「1つの宇宙」を軽々と管理し続けている脳なのだから、「1個人の一生分の記憶を残す」なんてことは余裕で実現できていて、それだけじゃなく、生と死を何度も繰り返して違う体で生きてきた「あなたの魂が生まれてから今までの記憶」も、ちゃんと「神の脳」内に残されているのです。

神が「記憶処理能力」に制限をかけているから、人間は、目や耳などから得た100%の記憶を思い出すことが出来ないのだけど、その「100%の記憶」は「神の脳」にちゃんと残されていて、「それは、後の、お楽しみ」という感じで、サプライズプレゼントとして、神が大切に保管して預かってくれている。

この世は「神が作った世界」であり、神に対して隠れて出来ることは、何1つとして、ない。

神は「人間の脳の作者」なのだから、あなたの記憶は全て掌握済みで、神と初対面した時に自己紹介する必要はなく、「私です」と一言いえば、「ああ、あなたのことなら何でも知ってるよ、それ以上、自己紹介する必要はない」と神が応える形となる。

あなたのことで、神が知らないことは、何1つとして、ないのです。

あなたに思い出せることは、神にも思い出せる。

むしろ、あなたは、何%しかあなたの過去を覚えていなくて、神は、100%あなたの過去を覚えている存在なのです。

そして、将来、あなたが神となり、「思考覚」を扱える存在となれたなら、走馬灯で見る「不完全な過去の記憶」ではなく、「神の脳」に鮮明に残っている「完全なる過去の記憶」を、神対神の会話的な形で、あなたの魂の産みの親である神から手渡されることになるでしょう。

その時、現世だけじゃなく、前世・前前世・前前前世……という過去世の自分の記憶をも、鮮明に目にすることになる。

人間の親が子供にしていることは、あなたの魂の産みの親である神もしていて、そして、それは、人間よりも「はるか上」のことをしている。

神は、宇宙の作り手なのだから、宇宙を丸ごと撮影して「あなたの成長記録ムービー」として、残してくれているのです。

神から見たら、人間が使っているビデオカメラは、子供用のオモチャだ。

そのオモチャは、「親である神」が「子供である人間」に創意工夫を学ばせるために、「子供の頭でも作れる程度に」わざと簡単に作れるようにしたオモチャで、神が試行錯誤して用意してくれた数々の「雛形」を組み立てるだけで作れてしまうオモチャで、やっていることは、人間の子供が親から与えられた「積み木のオモチャ」で遊んでいる程度のレベルでしかない。

神技術と人間技術では、それぐらい、大きな隔たりがある。

そして、神技術が凄すぎるから、目の前で披露してくれているのに、今までの人間は、自分が「圧倒的な技術力で彩られた世界」に住んでいることに気付けなかっただけの話なのです。


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体の死を乗り越えて魂は生き続ける [メイン【6周目】]

サナギになってチョウチョの幼虫の体がなくなることを「死ぬ」として、サナギからチョウチョの成虫の体が形成されることを「生まれる」とすると、「死ぬ前」と「死んだ後」で同じ魂が入っていると考えるのが普通で、「幼虫の時の魂と成虫の時の魂は別物だ」と考える人は、いないはず。

サナギの時点を受精した受精卵だと考えると「人間の誕生」の仕組みが見えてきて、生まれる時に、生まれる前の体(チョウチョの幼虫みたいな状態)から生まれた後の体(チョウチョの成虫みたいな状態)へと神の手によって変更されていて、人間の場合は、その時に、記憶の封印処置も施されている、と考えるのが一番しっくりくる自然な流れ。

「生」と「死」というのは、「体が変更される」というだけの現象で、「生まれる前」「生まれてから死ぬまで」「死んだ後」いずれも同じ魂で、神が存在を認めている限り、ずっと魂は生き続ける、ということになる。

いつか神となれる未来を見据えて、そのために、沢山の教材(雛形)を用意して、神が人間を親身になって教育してくれているのだから、「体が死んだら終わり」というのは、おかしな話。

人間の体が死んだ後も、中身である魂は、「神の目」には見えているけど「人間の目」からは見えなくなった「新たな体」を与えられて生き続けている、と考えるのが、一番、理論的に納得できる話なのです。

「真の死」は魂の消滅を意味し、神世界へと行く前であっても、神が消滅させない限り、「体の生と死を繰り返す」という変則的でいびつな形だけど、魂は永遠に生き続けるのです。

「体が死んだら終わり」じゃなく「体が死んでからが始まり」で、新たな始まりを、人間世界よりも上の世界で成し得たいのであれば、自分の魂を自分の手で良き方向へと導いていく必要がある。

なぜ「体の死」という苦しみを課せられているのかというと、すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、罰的な意味もあり、教育的な意味もあって、そうなっているだけで、ちゃんと「神の言葉」に従って良き魂となれば、「体の死」という苦しみから解放されて、「永遠の命」と「自分の体を自由に選べる」という、真に永遠であり、真に自由である神世界で、いつか、きっと、暮らせるようになる。

神が100%の能力を発揮した神技術や神作品で彩られていて、夢みたいな世界が実現しているのが神世界。

神が能力をセーブして作った「この世」で実現できている結果から神世界を推測して、ちょっと覗いただけでも、とんでもなく凄い世界であることが、うかがえる。

例えば、の話。

あなたが、録画したテレビ番組を再生して見ている時、「ちょっとトイレに行ってこよう」と思って「一時停止」して、トイレを済ませて戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。

これは、何気ない、人間生活のひととき。

神の場合は、こうなる。

神が、自分が作った宇宙を再生して見ている時、「ちょっと世界中をじっくりと見て回ってこよう」と思って「一時停止」して、世界中をじっくりと見て回って戻ってきたら、一時停止を解除して続きを見始める。

これが、何気ない、神生活のひとときなのです。

う~ん、神の例え話の方は、「一時停止」というよりも「スーパースロー」と表現した方が、いいのかもしれない。

人間が走馬灯を見ている時は、ありえないほど膨大な量の「自分の過去」を、一瞬で、見ることが出来る。

その時、おそらく、「人間の思考速度」に制限をかけているリミッターが一時的に解除されて「神の思考速度」に近づいている状態なのでしょう。

「自分の思考速度を調整できる」神は、自分の思考速度をMAXにして、それから「自分の宇宙内を巡回している」という感じなのだと思います。

もしくは、そのMAX状態が通常運転で、人間側の思考速度の方を調整しているのかもしれない。

いずれにせよ、神が軽々と行っている日常生活が、人間の想像をはるかに超えたものであるのは、間違いない。

神は、人間世界を随時チェックしていて、ダメな部分の修正をいつでも行える立場なのだから、もちろん、人間が走馬灯を見ることも想定の範囲内であり、それを修正することなく残し続けているのは、「神がどんな存在であるのか」「神世界がどんな世界であるのか」を知るヒントとするために「あえて」残している、ということになる。

「遺伝子」「サナギ」「走馬灯」、神が粋な計らいで「わざと」残した数々のヒントを繋ぎ合わせていくと、衝撃的な事実へと辿り着けるように、この世は作られているのです。

当たり前なことが当たり前に出来るのが神世界であり、神なのであって、神世界の科学力は、人間世界の科学力を、圧倒的に凌駕している。

人間技術は、常に、神技術の後追いであり、劣化版なのです。

だから、人間世界で実現できている技術の「さらに上」を考えると、神世界の技術が浮き彫りになってくる。

人間が、グーグルマップで世界を「拡大」「縮小」して地図を見ているように、神は、「宇宙規模」「太陽系規模」「地球規模」「国規模」「都市規模」「家規模」「人間規模」「細胞規模」「原子規模」という風にズーム倍率を変更して、宇宙のどこであっても鮮明に見ることが出来ている。

人間よりも「はるか上」の技術を使用している神なのだから、これくらいのことは出来て当たり前なのです。

そして、もちろん、「神の目」は、「人間の目」みたいに、酷使したら充血したり疲れ目になったり頭痛になったりすることはなく、衰え知らずで、疲れ知らずで、ずっと快適に使用できて健康なままであることは、言うまでもありません。


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神の掌の上で踊る科学者たち [メイン【6周目】]

神が「飲んだり泳いだり入浴したりすることが出来る水が欲しいな」と思ったから「飲んだり泳いだり入浴したりすることが出来る水」が実現しているのであって、

「なんかビョーンって伸びて縮むゴムが欲しいな」と思ったから「ビョーンって伸びて縮むゴム」が実現しているのであって、

「南国のトロピカルなパイナップルが欲しいな」と思ったから「南国のトロピカルなパイナップル」が実現している。

ぜ~んぶ、神が思ったことが実現できてしまっているのです。

もちろん、神作品の1つである「人間の体」も、例外ではありません。

神世界では、自分で自分の体を選べるのだから、強制的に「オスの体」「メスの体」という風に固定化されていない。

「男と女に分けた方がよりドラマチックな展開になるだろう」と神が思ったから、その「思い」が実現して、この世に「男」と「女」が存在しているのです。

異性を誘惑する「フェロモン」ですらも、神が考案して生み出したものなのであって、「青春や恋愛を彩るために男女をメロメロにしちゃおう」と神が思ったから、人間は、異性に夢中になってメロメロになっている。

直接会わなくても、テレビやラジオから異性の魅力が十分に伝わってくるのは、神の「表現力の凄さ」故であり、「芸術的センスが抜群」だから成し得ている技なのです。

男性のかっこいい立ち振る舞い、女性のかわいい仕草、

かっこいい声、かわいい声、

これら全ての雛形を神が用意してくれたからこそ、

「かっこいい」と「かわいい」が実現できているのであって、

それ故に、さらに、もっと、男女が魅力的になって、異性にメロメロになっている。

同性を好きになったりするイレギュラーも発生するけど、そのイレギュラーも神にとっては想定の範囲内であり、存在しているのであれば、何かしらの意味があるから、修正することなく、そのまま存在させている。

同性愛であっても美しく愛し合っているなら、それは、それで、良いことだと思うし、神は「性別」を超越した存在なのだから、「愛し方」さえ間違っていなければ、ちゃんと評価してくれているはずです。

レギュラーである男女のカップルであっても、醜い欲望でくっついているだけなら、それじゃ、意味がない。

神から、何を期待されているのかを、ちゃんと感じ取って生きていくことが大切で、心に愛が芽生えたら、なぜ、この世界が、このような仕組みになっているのかが、見えてくるようになる。

科学が進歩して様々な脳内ホルモンが発見されて、

快楽が得られる「ドーパミン」だとか、

不安や恐怖などの感情を抑えて精神を安定させてくれる「セロトニン」だとか、

愛を感じて心地良い気分にさせてくれる「オキシトシン」だとか、

色々と脳内の仕組みが科学的に解明されてきたけど、それらの、いずれも、神が思い描いて生み出した仕組みなのです。

ドーパミンは、何かを達成した時や激しく運動した時や笑った時などに分泌される。

セロトニンは、太陽を浴びたり軽めの運動をしたり美味しいものを食べたりした時などに分泌される。

オキシトシンは、人や動物とスキンシップをしたり相手を思いやったり親切な行動をしたり誰かと一緒に食事をしたり誰かを褒めたりした時などに分泌される。

「人間の脳の作り手」側である「神の立場」から考えてみると、見えにくかった真実が明らかになってきて、「何をやらせたいのか」が見えてくる。

愛や絆を大切にしたり、

運動や勉強や仕事を頑張って目標を達成したら、

「幸せホルモン」と呼ばれているドーパミン、セロトニン、オキシトシンが分泌されて気分が良くなり、さらには、生殖活動を促すために、セックスをしたらエクスタシーを感じるようにも作られている。

知らず知らずの内に、「人間の脳の作者」である神によって、あるべき形へと誘導されているのです。

「人間の脳」は神が創作した1つの芸術作品なのであって、だからこそ、「記憶力」や「記憶処理速度」ですらも、「人間に出来るのはココまで」と神によって制限がかけられている。

頭の回転が速い人と遅い人がいるけど、どんなに速い人であっても、「神の思考速度」には到底及ばず、その差は歴然なのです。

リミッターが付いていない「神の脳」は、驚異的なスピードで思考することが可能で、天文学的で膨大な情報量を記憶することも可能で、人間のソレとは次元が違って、全く比べ物にならない。

そして、もちろん、「人間の脳の作者」である神が、人間の脳内構造を知り尽くしている存在であり、「人間の脳」を実体化しているのは神なのだから、現存している全ての「脳内構造の形」を再現できる存在であることは、言うまでもありません。

この世で実現できていることの全てが、神には、再現可能なこと。

神の脳が、全てを実体化させているのだから、全ての型を再現できる。

全てが、神の想定内にある「1つの型」であり、想定外ではない。

すなわち、「人間は記憶喪失になることがある」という事実は「神はいつでも人間を記憶喪失にすることが出来る」ということを意味し、

交通事故にあった人が、事故の前後の記憶が「部分的にない」という事実は「神は人間の記憶を部分的に喪失させることも出来る」ということを意味することになる。

神がそういう処置を施しているから、人間は、「生まれる前の記憶を神に封印された状態で」生まれてくるのです。

一時的に喪失させる封印もあれば、できなくする封印もある。

オウムは人間の言葉を真似してしゃべることが出来るのに、ニワトリは、どんなに努力してもしゃべれない。

オウムには、できる。

ニワトリには、できない。

どういう方法で封印が施されているのかは分からないけど、明確な線引きが行われている。

そして、もちろん、これら全てが、神が定めた設定であり、神には、いかようにも変更可能であることは、言うまでもありません。

人間は、「木」や「鉄」や「石」などの雛形を使用して「家」や「ビル」や「橋」などを作って、雛形から派生させることは出来るけど、雛形そのものを作ることは出来ない。

神が、元々の形である雛形を作ったのであって、

試行錯誤して「原子の性質」という雛形をも生み出したのであって、

「水素はこういう存在だ」「酸素はこういう存在だ」「水素は酸素よりも軽い」と定めたのは神であり、

同じく、「人間はこういう存在だ」「男と女で体の仕組みを変える」と定めたのも神なのです。

人間が、体を鍛えて「かっこいい」をさらにかっこよく表現したり、

化粧品でメイクして「かわいい」をさらにかわいく見せたり、

「遺伝子組み換え技術」で新たな品種を生み出したりしているけど、

元々の、根源である「遺伝子システム」を考案したのは神であり、

「かっこいい」「かわいい」「男らしい」「女らしい」「美しい」「セクシー」などの雛形を用意してくれたのも、神なのです。

神が「雛形」を供給し続けてくれているから、人間社会は、今ある形を保つことが出来ている。

人間科学は「氷山の一角」であり、水面下には「巨大な神科学」が存在していて、神科学の恩恵を受ける形で、やっと、成立しているのが「人間科学」なのです。

今までの科学者たちの功績は、薄氷の上で成り立っている。

遺伝子や脳内ホルモンなどを、

神が可視化して「わざと人間の目でも確認できる形で残してくれた」からこそ、科学的に解明できたにすぎず、

もし、神が、その形跡を消して、ヒントを与えなければ、

科学者はペラッペラな存在となり、

「科学的に解明できていません」「科学的に解明できていません」と連呼するだけの木偶の坊へと成り下がってしまう。

科学者が「何を科学的根拠としているのか」を考えてみれば、科学者は「神に踊らされているだけにすぎない存在」だと分かってくる。

科学者「地中を詳しく調べたら発見できたんです」
(神が埋めておいた作品を掘り起こしただけ)

科学者「顕微鏡で拡大してみたら、なんと、こんなことを発見できたんですよ」
(神が創った作品をじっくり見ただけ)

科学者「大発見だ!遺伝子を調べたらビックリ仰天な事実が分かったぞ!」
(神が書いたメモ帳を読んだだけ)

どれもこれも、科学者たちが発見するのは、

神が「あらかじめ教育用に用意しておいた教材」ばかりで、

神目線から見ると、とんだ茶番で、「作者がそう設定しただけだぞ」って話なのです。

例えるなら、科学者たちは、真剣な顔をして

「“千と千尋の神隠し”を調べたら“人間は息を止めて橋を渡らないと化け物たちに見つかってしまう”という事実が判明したぞ!」と誇らしげに言っているだけなのです。

科学者たちが集まる学会は、

神を評する会で、

神作品の品評会をするために映画評論家(神評論家)が集まって、

「神作品の素晴らしさ」を語り合ってワイワイガヤガヤと盛り上がっているだけの会合で、

1つの例え話をするなら、

神が化学方程式を人間に学ばせるためにサンプル的に用意しておいてくれた「水」というアート作品に魅せられた科学者が、「水素と酸素で水が作れる」ということを発見して、それを、周りの人々に自慢顔で言い聞かせているだけの話なのです。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)
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神は「人の心」を重要視している [メイン【6周目】]

外面をいくら取りつくろっても、内面が伴っていなければ、何の意味もない。

神は、内面を、心を、重視しているのだから、外面は、見てくれは、お飾り程度の存在価値でしかない。

逆に、性格的に気弱で、周りの目が気になったりして、どうしても一歩踏み出す勇気がなくて「やりたくても出来ない」という感じなら、神世界は「思ったことが実現できてしまう世界」なのだから、ちゃんと正しく思えているのなら、それだけでも、十分、神から好評価をもらえていることになる。

行動に移せたら、さらに良いのだけど、まず最初の段階である「心の中でちゃんと正しく思えているのかどうか」が最重要事項なのであって、詐欺師がダマす目的で人に優しく接していたとしても、それが評価されないことは誰の目にも明らかで、もちろん、全てをお見通しである「神の目」を欺くことは絶対に出来ない。

悪いことをしてしまった後に「反省」することが大切で、人間が作った刑務所からは「更生したフリ」で出ることが出来るけど、神が作り上げし刑務所からは「更生したフリ」では出ることが出来ず、そして、ちゃんと更生できたなら、神が、「人間世界よりも上の世界」へと連れて行ってくれるのです。

「人間世界」は、あなたが思っているほど、恵まれている世界じゃない。

もっともっと「上の世界」があるのです。

もちろん、一番上の世界は「神世界」であり、神から見て「良い」と判断された者が、「上の世界」へと行ける片道切符を手に入れることが出来るのです。

神世界では、「固定化された体」「固定化された顔」で過ごしていないのだから、神が「体形」や「顔立ち」で評価することはない。

そもそもからして、神が「人間の体」をデザインして、さらには、「遺伝子」ですらも神がデザインしたものなのだから、そこから派生した「美男美女」も、遺伝子的に流動して成し得た奇跡的な神作品の1つにすぎないのです。

神からしてみたら、服にポケットを付ける程度の感覚で、人間の体に遺伝子を付けている。

付けた理由は、車の運転席で表示されているメーターパネルみたいに、車(人体)の状態を分かりやすくするために可視化しているだけなのです。

人間の目からは、簡単に見て確認することは出来ないけど、神の目からは、簡単に見て確認することが出来ている。

もちろん、見るだけじゃなく、「作り手」である神は、全ての遺伝子の初期設定をした立場なのだから、いくらでも自由に設定を変更し放題なのです。

アニメ映画「千と千尋の神隠し」で銭湯の入り口である橋を渡る時、人間は、息を止めないと正体がバレてしまう設定で、千尋が失敗して息をしてしまいカエルの化け物に見つかってしまった場面があったけど、2001年7月に公開されてから19年たった2020年6月現在でも変わらずに、作者がリニューアルを行わない限り、ずっと「息を止めないと見つかってしまう橋」のまま存在している。

それと同じで、ずっと昔に神が思いついた「人間の子供は母親似か父親似の顔になりやすい」という設定も、その後、作者によってリニューアルが行われていないから、今現在でも残っているだけの話なのです。

「人間的な意思」が加味されている法則は、神が作った法則。

「親に似た子が生まれた方がより愛着が湧くだろう」という「人間的な意思」が加味されているから、そういう法則になっているのです。

神は、普段、自分の体の外側にある「神々が住んでいる世界」で暮らしているから、自分の体の内側にある「人間たちが住んでいる世界」をメインとして行動していないから、なかなか人間世界のリニューアルは行われない。

体内において、自動的に魂が成長していける世界は構築してあるから、神自身は、だいたい、体外で、神生活を満喫しているのです。


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人間の体は神の手で固定化されている [メイン【6周目】]

どこかに雛形がないと、人間を人間たらしめる「体の形」を保ち続けることは出来ない。

誕生時に1個体の「人間の脳」が形成される前から、その雛形は存在しているのだから、人間の脳内に雛形が存在している訳ではない。

そう、人間達が「アカシックレコード」と名付けた巨大な「神の脳」内に、その雛形は存在しているのです。

神が忘れないから、人間は、人間として存在することが出来ている。

「人間の一生」「鳥の一生」「魚の一生」という風に、体の成長過程が固定化されている雛形は、親から子へと受け継がれるものではなく、神が手助けする形で、上手いこと装って「親から子へと受け継がれているように見せかけている」だけなのです。

本来、自分の体というのは、自分の手で、自分が望む形へと変化させていくのが自然な流れなのであって、それが、神世界における通常運転となっている。

そんな、元々からある当然の権利を失ってしまっているのが今の人間の現状であり、神が設定した原子的な性質や現存比率、遺伝子的な体の形状固定などの制約によって「できない」「これもできない」「あれもできない」と出来ないことだらけで過ごしているのが、「人間」という生き物の正体なのです。

空気、水、火、土、さらには重力ですらも「神が作ったもの」だと考えれば、いかに、人間が不自由な世界で生きているのかが見えてくる。

それらを「作る側」である神世界が、いかに、自由な世界であるのかが見えてくる。

もちろん、人間以外の知的生命体にも同じことが言えて、あらかじめ体の成長過程が決められていて、そのレールに沿う形で成長していっているのであれば、その体は「神が思い描いて作り出した雛形」を元にして存続している、ということになる。

そして、これは、生き物だけに限った話じゃない。

無生物に対しても、神の意向が反映されていて、教育的なレールが敷かれているのです。

神が、ゴールドを希少価値がある存在とするために、わざと、少な目にゴールドを土の中に埋めておき、それを、土を掘って発見した人間が「希少価値があるゴールドを手に入れたぞ!」と大興奮して大喜びしている。

ゴールドというのは、神世界では、「原子発生装置」を調整し直せば、いくらでも作り放題な量産品で、人間世界におけるオモチャの金貨程度の価値しかなく、安っぽく作られた偽物のブランド品みたいな存在なのです。

ゴールドだけじゃなくダイヤモンドやルビーなどの宝石類全てに同じことが言えて、「作られた世界」に住んでいる人間は、どこに行っても、何をしても、神の掌の上で踊っているだけの存在にすぎないのです。

土中の金の比率、銀の比率、銅の比率、空中の酸素の比率、二酸化炭素の比率、水素の比率、これら全てが神によって定められた「空想上の比率」なのであって、「宇宙の作り手」である神には、いかようにも変更可能なこと。

神が「テストする側」で、人間は「テストされている側」、この関係性は、あなたが神となるまで、ずっと、続くこととなる。

テストするために、様々なシチュエーションを作るために、人間の体は子供から大人へと成長していき、そして、老いていくのです。

テストされる立場ではない神は、人間みたいに「子供」「大人」「老人」という風に強制的に体を固定化されていないし、病気にもならないし、ケガもしないし、自分の手で自分の体を何度でも自由に作り直せるのだから、ずっと、健康な状態のままで生きている。

「子供用の体」「大人用の体」「老人用の体」「病気の体」「ケガの体」という風に固定化されている「人間の体」は、テスト用に作られた体なのであって、「子供」「大人」「老人」「病人」「ケガ人」、それぞれの立場を体験させるために、あえて、わざと、神の手によって固定化されているのです。

人間が切望している「永遠の命」は、人間が思っているほど特別なものではなく、元々から神世界に住む者にとっては、最初から当たり前に持っている当然の権利であり、強く望まぬとも簡単に手に入れることが出来ている。

今の人間は、その当然あるべき姿が奪われてしまっている状態で、ずっと、「なぜ与えてくれないんだ」と嘆いて、渇望して、懇願している悲しき生き物なのです。

いくら懇願しても、テストに合格しなければ、その状態から脱して、「永遠の命」を、自由を、手に入れることは出来ない。

自由な世界に住むためには、自由であるが故に、「自分で自分を律する精神」である自制心が不可欠なのです。

相手の気持ちを思いやれない者を、神世界に住まわせる訳には、いかない。

だから、神世界の下に、試験的な世界である「人間世界」が存在しているのです。

老人、子供、病人、障害者、様々なシチュエーションで、自分がそうだったら、相手がそうだったら、どう感じて、どう接して、どう対処するのかを試されている。

そのための「体の固定化」なのです。

電車で老人に席を譲ってあげて、沈みゆく船から女・子供を優先して救命ボートに乗せてあげて、障害者用のバリアフリーを作ってあげて、病気やケガで困っている人がいたら手助けしてあげる。

手助けをされることを嫌がる人もいるけど、まずは、「助けたい」「救いたい」「喜ばせたい」という相手を思いやる心が大切で、それから、「相手の性格によって対応を変える」という高度なことを学んでいく。

生と死を繰り返して、様々な立場を体験して色々なことを学び終えて、立派な魂となって「神になってもいいよ」という合格ラインに達したら、いよいよ、待ち望んでいた光り輝く世界である「神世界での生活」がスタートすることになるのです。


Author:神描人(かみえがきびと)

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神世界に行くためにするべきこと [メイン【6周目】]

今まで、神がやっていることを長々と書き連ねてきたけど、いざ、それを、理性なき者にやらせたら、とんでもない事態になってしまうことは明白だ。

だからこそ、神となれるかどうかを試すために、神世界の下に試験的な世界を作って、そこで、どんな魂になるかをテストされているのです。

愛なき者を、神世界に住まわせる訳には、いかない。

過去における失敗から、教訓から、神世界には、簡単に住めないようなシステムが構築されているのです。

新たに魂が生まれたら、まず、神世界よりも下の世界に住まわせて、何層に区切られているのかは分からないけど、下の階層から上の階層へと昇っていき、最終的に「神世界に住まわせてもいいかな」と判断された者だけが、神世界へと行けるシステムになっている。

その途中段階に存在しているのが「人間世界」であり、だいぶ魂が成熟してきて「愛とは何なのか」「なぜ愛が必要なのか」という高度なことを学んでいる世界なのです。

そして、体を固定化することで「自分と容姿や能力や個性が異なる者に対してどう接するのか」ということを試されている世界でもある。

神は、人間や鳥や魚みたいに「人間の型」「鳥の型」「魚の型」という風に「固定化」された不自由な体ではなくて、自分がなりたい姿へと自由に変更できる体で生きている。

その自由を与えられていないから、顔を変更する自由を与えられていないから、人間は、砂糖に群がるアリみたいにアイドルに群がって熱狂している。

美男美女に陶酔するのは悪いことではないのだけど、さらに上の世界を見据えるならば、魂の審美眼を磨いて「人間の内面」の方も重視できるようになっておかなければいけないのです。

優しいフリして、性格が最悪な人間がいる。

見た目だけキレイで、中身が最悪な人間もいる。

たいしたことない容姿で、どこが凄いのかよく分からないような人間が、実は、神から絶大な高評価を受けていたりするケースもあるのです。

失って、はじめて気付けることも沢山ある。

若くて美人だった時にはチヤホヤして言い寄ってきたのに、老いてシワクチャになると、とたんに態度を変えて汚いものでも見るような目で去っていく男。

金持ちだった頃には笑顔で近寄ってきたのに、金持ちじゃなくなると、急に態度を変えて冷たい目で見てくる女。

こういった経験を何度もしているうちに、本物の愛が見えてくるようになる。

偽物の愛ではなく、本物の愛、無償の愛。

恋人同士なら、相手の笑顔を見たいから心がこもったプレゼントを手渡したり、相手が喜ぶデートコースを一生懸命に考えたりして、相手の気持ちを思いやって愛し合い、夫婦なら、お互いに子供の進路で悩んだり、子育てを協力することで自分達も人間的に成長させてもらって、「お父さん、お仕事がんばってね」「お母さん、お弁当ありがとう」と言われて泣いて喜んだり、いろいろな苦難を一緒に乗り越える事でお互いの絆を深めたりして、美しい愛をはぐくんでいく。

愛があるからこそ、人は強くなれるし、苦難の中へと飛び込むことができるし、人々を心から感動させてくれる数々のドラマが生まれるのです。

あなたが幸せな時に他人に邪魔されたくないなら、あなたも、他人の幸せの邪魔をしてはいけない。

立場を逆にして考えてみることが大切で、そうすれば「何をしたらダメなのか」が見えてくる。

テレビドラマや映画などを見て、疑似体験で「何が善で何が悪なのか」を分かっているのだから、少しずつでもいいから、善の方を自分の中に浸透させていって、神となるために、理性を育てていかなければいけない。

醜い欲望は、純粋な愛を台無しにする。

頭の中から完全に醜い欲望を消し去るのが、正しき選択なのです。

魂が生まれたばかりで「悪」を知らない者は、「自分の都合」だけ考えて欲望のままに突っ走って、「悪」だと知らずに「悪」を実行してしまう。

まず「悪」が何なのかを知って、そして、「悪はダメだよ」「悪はダメだよ」と何度も言われ続けることで、やっと、だんだんと「悪魔の誘惑」に勝てるようになっていって、立派な魂へと成長していくものなのです。

「やっちゃダメだよ」と、親が子を叱り、先生が生徒を教え諭している「聖なる言葉」は、はるか昔に、「神の言葉」を受け取った預言者が、人々へと教え広めた言葉。

何度も「違う体」に生まれ変わって、何度も「聖なる言葉」を目にしてきたはずなのに、未だに、ちゃんと守ることが出来ていないのは、守ろうとしなかったからに他ならず、そんな未熟な魂が集まって形成されているのが、今ある「人間世界」の正体なのです。

ちゃんと成長できた魂は、もう、上の世界へと旅立っている。

上の世界へと行けなかった者が、また、人間として生まれてくるのです。

最終的に神となるための旅路なのだから、「間違ったことをしたら叱ってあげる」というのが愛であり、「悪の道に進んでしまったことを後悔させてあげる」というのが究極の愛なのです。

もちろん、自分が毒された側なら、自分で解毒していく必要がある。

自分の心の中に悪の進入を許してしまったとしても、自分でその悪を退治できたならば、悪に対して強い免疫ができた魂となれるし、悪を知らない人間よりも悪を退治することに秀でた魂となれる。

自分の人生を振り返ってみて、親が悪だから悪になるしか道がなかったり、悪にならなければ生き残れなかったりした人のケースでは、これを、神から期待されているのです。

悪になってみないと、どれが悪に対して有効なのかが分からない。

人から聞いた話だけでは、本当の意味で身に付いていない。

自分に試して効果があった体験が、そのまま悪に対して有効なワクチンとなるのです。

ハッカー退治に最も活躍できるのは、ハッカーの手段を知り尽くしている元ハッカーだった人間なのです。

悪だった人は、まず、自分の力で自分を更生させてから、次に、過去の自分と同じ悪を持っている人を更生させる役割を担当して、社会に貢献するまでを神から期待されている。

これは、悪を避けて生きてきただけの人間には出来ない芸当だ。

相手に対して、まず、「オレもそうだった。その気持ち分かるよ」という話から始められるのが、大きいのです。

悪を知っている分、たくさんのアドバイスが出来るようになっているはずだし、悪いことをした分は、良いことをして取り戻さなければいけない。

出来る範囲内でいいから、とにかく悪と戦ってみて、悪に対して何が有効なのかを試してみて、見極めて、対処法を確立してから死ぬのが理想的なのです。

正と邪。

邪になって、はじめて気付けることが沢山ある。

不規則な生活で健康を害することで規則正しい生活の正しさを再認識できるようになるし、太ってみないと、どれがダイエットに効果があるのかが分からない。

いつの世も、真に有効なアドバイスを生み出しているのは、邪の立場から解決方法を模索している人達なのです。

邪を経験しなければ、何が正なのかが分からない。

神の言葉の正しさは、波乱万丈な人生を送った人ほど理解できるようになる。

理解できないならば、経験が足りないのです。

分かっているようで分かっていない人間は、文字を読んで記憶しているだけで、役に立つ場面に遭遇するまでは宝の持ち腐れとなっている。

本当に理解できるようになるためには、実体験が不可欠なのです。

経験が伴って、はじめて神の真意が分かるようになる。

「自分だけじゃなく全体的なバランスを考えなさい」という神の言葉が聞こえてくるようになる。

何事も、バランスが大切なのです。

自然環境のことを考えすぎると何も出来なくなってしまって文明が停滞するし、考えなさすぎると汚染が進んで人間が住めない環境になってしまう。

これは神の本意ではない。

文明を進化させつつ、なお、環境のことも考えて、開発技術とエコ技術を並行して進めていくのが望ましいのです。

何事も「中道」が、いい。

そもそも、人間の体からして、そのように作られているのです。

やらなすぎれば病気になり、やりすぎればケガをする。

絶え間ない努力を続けて超人となっている人は別だけど、生まれつき強靭な体を持っている人は別だけど、夢や希望や感動を与えたいために無理を承知でやっている人は別だけど、それ以外の人は無理をせずに適度な運動を続けるのが理想的なのです。

人間、命をかけてでも戦わなければいけない時もある。

そんな時は、例外だ。

いずれにせよ、まず健康管理の基礎を身に付けてからの話で、段階を踏んで徐々にレベルを上げていく必要があるし、自分の限界を知って無理をしない勇気も大切なのです。

他人にできることの全てを、自分もできる訳ではない。

自分を知って、自分の出来る範囲内でいいから、自分なりに考えて最善を尽くして頑張っていけばいいのです。

努力と根性も大切だけど、その前に、まず、自分を知ることが最重要事項なのであって、人それぞれ生まれ持った「課題」「好き嫌い」「得手不得手」「性格」「能力」が異なるし、悩みの解決方法も体質や運命によって変わってくるし、神から何を期待されて生まれてきたのかが違うのだから「みんなに同じことを押し付ける」教育は間違っているのです。

相手によって柔軟に対応するのが、本物の教育。

アドバイスされた側も、アドバイスが間違っていると感じたならば「違うものは違う」と断固拒否する勇気も必要だ。

どんなに偉い人であっても100%正しいことを言う訳ではない。

体が違うのだから、同じ作業をしていても他人の体験と自分の体験では微妙にズレが生じているから、有効なアドバイスも人によって異なってくるのです。

全ては「相性」であり、「相性が良いものを見つける」のが問題解決への最短ルートとなっていて、相性が悪いものを追いかけ続けても失敗するだけだし、相性が良いものを見つけると一瞬で解決することが多々ある。

他人の意見は参考程度にして「自分の力で見つける」のが大切で、自分で解決するためにこの世に生まれてきたのだから、他人に解決してもらったら貴重な体験を損する形になって進化が遅れてしまう。

楽してトクは得られないのです。

それでは生まれてきた意味がない。

ズルして手に入れた宝には何の価値もないし、頑張りすぎたら壊れてしまうから、適度な努力を継続して大成させていくのが理想的なのです。

人間、出来ないことは出来ない。

治らない障害は治らないのだから、「ない」ものは「ない」とあきらめるしか方法はない。

「ある」ものの中で、最善を尽くして生きていけばいいのです。

神は、ちゃんと分かってくれている。

頑張った分だけ、ちゃんと評価してくれている。

自分なりに頑張っていけばいいのです。

他人と見比べて劣等感ばかり感じていると、やる気がなくなってしまうからいけない。

「努力だけでは超えられない壁」というのが存在しているし、凡才がいくら努力しても、努力し続ける天才には、かなわない。

これは、どうしようもない事実なのです。

何かしらの理由があって神によって分けられているのだから、自分は自分なりに全力投球して頑張っていけばいいのです。


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神世界のリンゴは腐らない [メイン【6周目】]

神は、死なないし、老いないし、衰えないし、忘れない。

人間みたいに記憶処理があいまいではなく、「この記憶は残してこの記憶は消去する」という風に的確に処理していて、残している記憶は、決して、忘れることはない。

だから、永い年月の間、ずっと、スムーズに、安定した状態で、自分の脳内にある記憶を雛形として、「人間の体」や「植物の体」を、それぞれのストーリーに沿った形で成長させることが出来ているのです。

神の脳が、遺伝子情報などの各種設定情報を読み取って、この世の全てを実体化させている。

だから、神の脳(アカシックレコード)にアクセスすれば、全ての成長ストーリーを読むことが出来る。

そして、もちろん、アカシックレコードの所有者である神が、全ての成長ストーリーを自由に変更できる立場にいることは、言うまでもありません。

神が、リンゴを映像化、味覚化、嗅覚化、触覚化、リンゴをかじる時の音を音声化しているから「リンゴ」という作品が存在している。

作り手である神は、ストーリーを自由に変更できるのだから、もちろん、神世界のリンゴは、腐らない。

わざわざ腐らせる必要性は、どこにもない。

神世界のリンゴはずっと新鮮なままで、「感覚化のシステム」が稼働している間は、いくらでも食べ放題なのです。

神世界にはエネルギーが満ちあふれているから、エネルギー不足で心配することはなく、膨大なエネルギーを要する「1つの宇宙」を軽々と維持できている世界なのだから、むしろ、エネルギーが有り余っている。

もちろん、リンゴ以外も作り放題で、自分で新たな食材を生み出すことだって出来るし、自分の味覚の方を変更して新たに味わうことだって出来るし、何でも自由に作れて自由に遊べる世界なのです。


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神世界の下に人間世界は存在している [メイン【6周目】]

「宇宙は神の体なのか?」という話はさておき、少なくとも、この宇宙を作った側である神世界、作られた側である人間世界、この2つの階層が存在していることは間違いない。

まず始めに神世界が誕生して、その下に人間世界が誕生した。

そして、神世界は、決して、滅びることがない世界なのです。

人間世界が、滅びゆく儚い世界なのは、テスト用に作られた世界だからなのであって、だから、わざと、住む環境をギリギリで生きられる過酷な状態に設定してあるのであって、苦しみだらけの世界で苦しみだらけの体でずっと生き続けるのは残酷な話だから、長く生きたとしても100年くらいを寿命として、むしろ、死ぬことは救済措置となっている。

死んだ時点で、天国へと、神世界へと行ける魂になっていたら、神が、天国へと、神世界へと連れていってくれるのだ。


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